新潟市のほぼ中央に位置する亀田郷。阿賀野川、信濃川と、2つを結ぶ小阿賀野川に囲まれた砂丘地が、越乃寒梅のふるさとです。 亀田郷は、阿賀野川を水系とした豊富な良水、また低温環境を作り出す冬の雪に恵まれた、まさに酒造りの好適地といえます。
そんな亀田郷は、江戸時代からの梅の名産地でもあります。初夏に大きな実をつける「藤五郎梅」の畑は、初春の残雪の中、可憐な花に彩られます。寒さに堪え、凛とした美しさを放つこの梅の花が、越乃寒梅の名の由来です。 酒を愛し、梅を愛でる亀田郷。石本酒造は、今日もこの地で、越乃寒梅を醸し続けています。
「農作業に励む亀田の人々に喜んでもらえる酒を造る。」
明治40年、石本酒造の越乃寒梅は、そんな素朴な想いの下に生まれた。
やがて、数々の品評会で注目されるようになり、蔵は一歩一歩成長。
しかし、昭和に入り相次いで起こった戦争の影響は、酒造業界にも及び、石本酒造も、一時日本酒の製造ができなくなるなど苦難の日々を送った。
終戦を迎えても、満足に米が手に入らず、精米歩合に制限が設けられるなど、過酷な状況が続く。それでも石本酒造は、「どうせ少量しか造れないなら、喜ばれる酒を造りたい。」と、白く白く米を磨いた。
そして高度経済成長期が訪れ、日本酒も大量生産の時代へ。
甘口が好まれ、造れば売れる時代だったが、石本酒造は
「キレのある飲み口の良い酒」を貫き、蔵の規模に見合った量を造り続けた。
やがて地酒ブームが到来。新潟は、酒どころとして確固たる
地位を築いたが、それでも、越乃寒梅が身の丈以上に増産されることはなかった。
旨い酒を造るため、「越乃寒梅」であり続けるために、
限界までこだわり抜いた結果だった。
そして現在に至るまで、その姿勢は変わらない。
当社二代目・省吾は、酒造りを、かつて自身が選手だったボート競技に例えた。
「見えないゴールに向かって懸命にオールを漕ぐ。酒造りも同じだ」
私たち石本酒造は、これからもそんな酒造りを続けて行く。
明治40年 | 石本龍蔵により石本酒造創業 |
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昭和8年 | 石本省吾が二代目社長に就任 |
昭和42年 | 雑誌「酒」に取り上げられる。 |
昭和48年 |
ドイツで開催された催しで 「日本を代表する銘酒」として紹介される。 |
昭和57年 | 石本龍一が三代目社長に就任 |
昭和58年 | 石川弥八郎賞受賞 |
昭和61年 | 新潟県経済振興賞受賞 |
昭和63年 | 特醸酒を商品化 |
平成2年 | 古酒乙焼酎を商品化 |
平成15年 | 石本龍則が四代目社長に就任 |
平成19年 | 創業100周年を迎える。 |
平成20年 | 梅酒を商品化 |
平成25年 | 10年古酒乙焼酎を商品化 |
平成28年 | 通常商品として45年ぶりの新商品 「純米吟醸酒 灑」を商品化 |
平成28年 | 「越乃寒梅 普通酒 亀田郷大江山産2016年」 を商品化 |
平成29年 | 創業110周年を迎え、 「越乃寒梅 百十周年祝酒 一輪一滴」を商品化 |
平成29年 | 「越乃寒梅 特別本醸造 亀田郷大江山産2017年」を商品化 |
会 社 名 | 石本酒造株式会社 Ishimoto Sake Brewery Co., Ltd |
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所 在 地 | 〒950-0116 新潟県新潟市江南区北山847番地1 |
連 絡 先 | 025-276-2028 |
創 業 | 明治40年 |
代 表 者 | 石本龍則 |
事業内容 | 清酒、乙類焼酎、リキュール類の製造販売 |
取引銀行 | 第四北越銀行 |