• 越乃寒梅にまつわる歴史

石本酒造 酒造りのはじまり

2016年3月29日

石本酒造の創業は1907年(明治40年)で、石本龍蔵が初代蔵元です。

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地主であり、いくらかの小作米が手に入ったことから酒造りを開始したと言い伝えられています。

明治40年当時、酒蔵の数は全国で約8,000(現在 約1,220)場数があったそうです。

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石本酒造は現在4代目で創業109年が経ちました。

創業以来かわらぬ土地で、今日も「越乃寒梅」を醸し続けております。

参考文献:石本酒造内部資料


亀田郷の歴史~農業と酒をめぐる背景について~

2016年2月4日

越乃寒梅にまつわる歴史を少しずつ紹介して参ります。

「越乃寒梅」を醸す石本酒造の地元は、新潟市江南区北山は旧亀田町に隣接しており、付近一帯は昔より「亀田郷」と呼ばれています。

今も昔も農業地区に変わりはありませんが、かつては蒲(がま)の生える湖沼が広がり、亀田郷全体の約3分の2は潮位変動に影響する海面より低い湿地帯であり、農作に不向きな土地でした。

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※出所:石本酒造株式会社 内部資料より抜粋

明治時代の稲作農家では、田植えから収穫に至るまで大変な重労働で、腰まで水に浸かりながらの過酷な作業でした。また収穫量も少なく食料を得られない不安から、他の収入源として「にごり酒」(※自家用酒税法廃止以前)を自家製造していました。そのためお酒は「一日の労のねぎらい・癒し」として、「収入源」として、また「寒い新潟の冬の寒冷対策」としての三役を担う重要なものでした。

そのような中で先人達は新田開発・治水・排水作業を進めて、昭和23年に当時は東洋一の排水能力を持つと呼ばれた「栗ノ木排水機場」(※現新潟市東区南紫竹地区ですが、現存せず)が完成し、亀田郷の水田も乾田化されたお陰で、生産性の高い近代的な農業が可能となりました。

お酒が私達に「癒し」を与えてくれるのは環境の変わった現在も昔も変わらないように思います。

私達は「越乃寒梅で1日の疲れを癒し、また明日への活力となって欲しい」そうした願いを持ち続け、今日も丁寧に醸しております。

※参考文献:石本酒造株式会社 内部資料